BEYOND
香港のロックバンド。1983年に結成され、1987年から香港のメインストリーム音楽界に進出。1993年にリードボーカルのウォン・カークイが死去した後も3人編成で活動を続け、2005年に解散した。
アーティスト紹介
BEYONDは香港のロックバンドで、1983年に結成され、初期にはアンダーグラウンドバンドとして活動し、1987年から香港のメインストリーム音楽界に進出した。バンド名の「Beyond」は「超える」という意味で、創設メンバー兼リードギタリストの鄧煒謙が、自分自身を超えるという意味を込めて名付けた。中国語版ウィキペディアのBEYONDの記事とウォン・カークイの記事はいずれも、ウォン・カークイが土瓜湾の嘉林琴行の店主の紹介で葉世榮と知り合い、鄧煒謙、李榮潮とバンドを結成し、このバンドがBEYONDの原型となったと記しており、二つの記事はこの出来事をそれぞれ1980年8月と1981年のこととしている。一方、中華書局のオンライン書店に掲載された原稿では、琴行の店主が葉世榮に紹介したのは李榮潮で、二人が嘉林琴行で会う約束をした際、李榮潮がウォン・カークイらを連れてきており、それが葉世榮とウォン・カークイの初対面だったとされている。1980年代初頭、二人はいずれもピンク・フロイドのプログレッシブ・ロックに関心を持つ若いミュージシャンだった。
1983年、『結他雜誌』主催のコンテストに参加するため、BEYONDが正式に結成された。当時のメンバーはウォン・カークイ(ボーカル、ギター)、鄧煒謙(ギター)、李榮潮(ベースギター)、葉世榮(ドラム)だった。決勝は1983年3月6日に湾仔の香港藝術中心寿臣劇場で行われ、BEYONDはバンド初のオリジナル曲「Photograph」と「腦部侵襲」を演奏し、最終的に「腦部侵襲」で「Players Festival香港結他/樂隊大賽」の優勝(Best Group Award)を果たし、その後、郭達年が自主制作したコンピレーションアルバム『香港Xiang Gang』のレコーディングに招かれた。1984年のこのコンピレーション盤は、バンドが初めてスタジオで録音した作品である。BEYONDが制作した「大廈」「腦部侵襲」などの曲は英語詞とインストゥルメンタルを中心とし、音楽性はアート・ロック(Art Rock)で、技術性と音楽上の変化を重視していた。バンドは結成以来、オリジナル曲を売りとしてきた。
中国語版ウィキペディアによると、1983年末に李榮潮と鄧煒謙が相次いで脱退し、その後、ウォン・カークイの弟である黄家強と關寶璇が加わり、それぞれベーシストとリードギタリストを務めた。1985年7月20日、BEYONDは堅道明愛中心で初のコンサート『永遠等待演唱會』を自主開催した。バンドのギタリスト陳時安は海外留学のためコンサート前に脱退し、黃貫中が代わって加入した。一方、サウスチャイナ・モーニング・ポストの回顧記事が引用した同紙娯楽面編集者の記述では、ウォン・カークイ、黄家強、葉世榮、黃貫中の4人が1983年にBEYONDを結成したとされている。1986年3月、バンドは初の自主制作アルバム『再見理想』をカセットテープで発売し、その後、マネージャー陳健添(Leslie Chan)の支援を受けてアンダーグラウンド音楽から商業ポップス界へ進み、メインストリーム進出に備えてKinn's Music Ltdと正式に契約した。同年、解散したばかりの浮世繪のメンバーで、キーボード奏者兼ギタリストの劉志遠が加入した。
1987年、BEYONDは初のEP『永遠等待』とアルバム『亞拉伯跳舞女郎』を発表して香港のメインストリーム音楽界に進出し、1987年度第10回十大中文金曲頒獎音樂會の最有前途新人獎上位8組に選ばれた。『亞拉伯跳舞女郎』はバンド初の非自主制作アルバムだった。1988年にはアルバム『現代舞台』を発表し、「舊日的足跡」を再収録したほか、「冷雨夜」「天真的創傷」などのスローテンポのラブソングも登場し、黃貫中と黄家強も初めて自身がリードボーカルを務める曲を持った。1988年4月30日、バンドは大專會堂でコンサートを行い、ウォン・カークイが公演中に劉志遠の脱退を発表したことで5人編成の時代が終わり、その後は4人編成を維持した。同年9月6日、バンドは新藝寶唱片(Cinepoly)からアルバム『秘密警察』を発表した。新藝寶との契約は陳少寶の仲介で実現した。また、バンドは「大地」で1988年度十大勁歌金曲に選ばれ、BEYONDにとって初の電子メディアによる受賞となった。
1989年7月、バンドはアルバム『Beyond IV』を発表した。母への感謝を題材とする収録曲「真的愛你」は映画『開心鬼救開心鬼』の挿入歌で、その年の十大勁歌金曲と第12回(1989年)十大中文金曲を受賞した。同年には、バンドがほかの歌手のために制作した曲を多数収録したアルバム『真的見證』を発表し、発売前には伊利沙伯體育館で7公演のコンサート『真的見證演唱會』を開催した。1990年、バンドは初の北京語アルバム『大地』を発表し、9月には広東語アルバム『命運派對』を発表した。収録曲「光輝歲月」は十大勁歌金曲、「俾面派對」は第13回十大中文金曲を受賞し、ウォン・カークイは「光輝歲月」で十大勁歌金曲最佳填詞獎も受賞した。この曲はウォン・カークイがマンデラに敬意を表して書いたものだった。1991年には広東語アルバム『猶豫』を発表し、9月19日から23日まで香港コロシアムで5公演の『Beyond生命接觸演唱會』を開催した。これはバンドにとって初の香港コロシアム公演で、同年にはライブアルバム『Beyond Live』も発表した。
杜琪峯監督はBEYONDに映画『吉星拱照』への出演を依頼し、バンドは主題歌「午夜怨曲」を制作して歌った。BEYONDは、バンドのために脚本が書き下ろされた映画『開心鬼救開心鬼』にも出演し、主題歌「戰勝心魔」と「文武英傑宣言」を歌った。映画会社はさらに、バンドのために人を奮い立たせる映画『Beyond日記之莫欺少年窮』を制作し、バンドは同作のために「誰伴我闖蕩」「不再猶豫」などを制作した。また、バンドはTVBでメンバーに合わせて企画された夏休みのバラエティー番組『Beyond放暑假』の司会を務め、香港ワールド・ビジョンの広報役となり、同団体の招きでアフリカを訪れて第三世界の貧困層を見舞い、第三世界基金を設立した。
1992年、BEYONDは音楽をより多くのアジア地域へ広げるため、日本と台湾への進出を始めた。バンドは新藝寶唱片(Cinepoly)との4年間の提携を終えてワーナー・ミュージックへ移籍し、日本に長期滞在してAmuseとマネジメント契約を結んだ。同年にアルバム『繼續革命』を発表し、1992年末には台湾で3作目の北京語アルバム『信念』を発表、北京語作品の発売元として滾石唱片(Rock Records)と再契約した。日本での2年間には、日本語アルバム『超越』『This Is Love 1』や日本語シングル「The Wall~長城~」などを発表した。1993年には「海闊天空」を収録したアルバム『樂與怒』を発表し、BEYONDは同曲で第16回(1993年)十大中文金曲と、叱咤樂壇流行榜の「叱咤樂壇我最喜愛的本地創作歌曲大獎」を受賞した。
1993年6月24日未明、バンドが東京のフジテレビでゲーム番組を収録していた際に事故が起き、ウォン・カークイがステージから転落し、6月30日に東京女子医科大学病院で死去した。31歳だった。
英語版ウィキペディアによると、ウォン・カークイの死後、残った3人がBEYOND名義で録音と公演を続けるべきかどうかをめぐって議論があった。1993年11月30日、3人は香港の『Composer's Tribute Night』コンサートで再び姿を見せた。1994年、3人編成のBEYONDは香港の滾石唱片(Rock Records)と契約し、6月4日に10作目の広東語アルバム『二樓後座』を発表した。これは3人時代の最初のアルバムだった。Amuseとの契約終了後、バンドは日本語アルバムを発表せず、香港と台湾市場での活動に集中した。3人時代には、音楽性がプログレッシブ・ロックからオルタナティブ・ロックへ転じた。1995年6月にはアルバム『Sound』を発表し、バンドはJim Leeと共同で米国ロサンゼルスやカナダのバンクーバーなどで録音した。同年、台湾で5作目の北京語アルバム『Love & Life』(『愛與生活』)を発表し、新たに制作した北京語曲4曲を収録したほか、『土洋大戰』と題するコンサートを3公演行った。
ウォン・カークイの死後、バンドが香港コロシアムで行った最初の大規模コンサートは『Beyond的精彩Live&Basic演唱會』だった。バンドは長年使用していたバンド部屋「二樓後座」をスタジオに改装し、自前のスタジオを持つバンドとなった。また、Beyond Publishing Co Ltdを設立し、楽曲の著作権はバンド自身が管理し、レコード会社が発売を担った。
1997年にアルバム『請將手放開』『驚喜』、1998年にアルバム『這裡那裡』『不見不散』、さらに「打不死」(広東語)と「我不信」(北京語)を収録したEP『Action』を発表した。この2曲は、米ワーナーの映画部門から依頼を受けてバンドが映画『轰天炮4』のために歌った主題歌だった。1999年11月にはアルバム『Good Time』を発表し、12月24日から26日まで湾仔の香港コンベンション・アンド・エキシビション・センターで『Good Time』コンサートを行って活動休止を発表し、3人はそれぞれ自身の音楽活動に進んだ。
BEYONDは1988年から1995年まで(1993年を除く)叱咤樂壇組合銀獎、1996年から1999年まで叱咤樂壇組合金獎、1996年から2000年まで叱咤樂壇我最喜愛的組合金獎を受賞した。バンドは1993年度新城勁爆頒獎禮の新城勁爆組合金獎も受賞した。
1999年の活動休止後、黃貫中は数人の友人とバンド「汗」を結成し、黄家強はソロアルバムを発表して2004年に個人音楽ブランド「Picasso Horses」(『毕加索的马』)を設立し、葉世榮は2001年と2003年にソロEP、2005年に初のソロアルバム『叶子红了』を発表し、中国本土市場を活動の目標とした。バンドは2002年度第25回十大中文金曲頒獎音樂會で金曲銀禧榮譽大獎を受賞した。2003年4月、BEYONDは結成20周年を記念して再結集し、5公演の『Beyond超越Beyond演唱會』を開催、6月21日から23日には香港コロシアムで3公演の『Beyond超越Beyond演唱會II』を追加開催した。3人はウォン・カークイの遺作1曲を再編曲して記念曲「抗戰二十年」とし、記念EP『Together』(『同在』)を発表するとともに、バンド初のワールドツアーを行い、中国本土、北米、東南アジアなどで公演した。2004年、バンドは映画『無間道II』の主題歌「长空」で第23回香港電影金像奨最優秀オリジナル映画歌曲賞を受賞した。
その後バンドは、3人の音楽理念の違いや香港音楽界への不満などを理由に、ワールドツアー後に正式に解散すると公表した。東方日報によると、葉世榮は、2000年から2003年までは各自が自分の音楽に専念し、個人として成長して独立性も増したため、一緒に仕事をすることがそれほど順調ではなくなり、考え方にも大きな違いが生じたことから、2005年に正式に別れを告げることを決めたと述べた。2005年、バンドはワールド・フェアウェルツアー『Beyond The Story Live 2005』を開催し、香港公演は1月27日から2月1日まで香港コロシアムで行われ、ツアー最終公演は2005年10月15日のシンガポール公演だった。BEYONDは2005年に正式に解散し、同年、华语音乐传媒大奖の「华语乐坛特别贡献乐队」を受賞した。
2008年の汶川地震発生後、香港演藝人協會は「海闊天空」を選び、アンディ・ラウが北京語の歌詞を書いて「承諾」と名付け、「演藝界512關愛行動」で中国本土、台湾、香港の歌手が歌い、募金による災害救援の主題歌とした。同年6月10日、ウォン・カークイの生誕46周年にあたる日に、黃貫中、黄家強、葉世榮が『別了家駒十五載——海闊天空音樂會』で再び共演した。2009年7月24日から26日まで、黄家強と黃貫中は香港コロシアムで『This is Rock n Roll 一生樂與怒』コンサートを開催した。2010年、BEYONDは华语金曲奖の「30年经典」選出で「30年30人」に選ばれ、『樂與怒』は「30年30碟」、「海闊天空」は「30年30歌」に選ばれた。中国語版ウィキペディアによると、黄家強は2015年5月25日に、BEYONDの縁は尽き、再結成はもはや不可能だと述べた。2016年6月10日、ウォン・カークイの生誕54周年にあたる日に、劉志遠、黃貫中、葉世榮が『家駒愛心延續慈善演唱會』で再結集し、「再見理想」を共演した。2017年6月22日には、3人が四川卫视制作の大型音楽ストーリーショー番組『圍爐音樂會』で再結集し、BEYONDの楽曲を数曲演奏した。
概要
- 結成
- 1983年
- 結成地
- 香港
- 解散
- 2005年通算22年
- 活動期間
- 1983年~1999年
- 2003年~2005年(再結成)
- 収録済みメンバーの構成
- 全員男性
- 別名
- 黄家驹乐队、ビヨンド
- 楽器
- ボーカル、ギター、ベース、ドラム / パーカッション、ピアノ / キーボード
収録済みの作品とリリース
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