溫拿樂隊 — The Wynners
香港のバンド。前身は The Loosers。1973年に溫拿と名付け、1983年9月に紅館で個唱を開いた最初の香港バンドになり、2023年に結成50周年の告別コンサートを開くと発表した。
アーティスト紹介
溫拿樂隊(英語 The Wynners)、略称「溫拿」は、香港で1970年代に生まれた華語楽壇のバンドで、メンバーはアラン・タム、鍾鎮濤、彭健新、陳友、葉智強、合わせて「溫拿の五虎」と呼ばれる。形の始まりは六十年代の終わりで、七十年代から中国本土・台湾・香港と世界各地で活動し、メンバーは連続ドラマと映画にもまたがって出た。
前身は1969年に組んだ The Loosers。最初期のメンバーは陳百祥(主唱)、彭健新(エレキギター)、葉智強(ベース)、陳友(ドラム)、陳百燊(電子オルガン、陳百祥の弟)。そのあとアラン・タムが入り、The Loosers は二人の主唱で出て、陳百祥がより荒い曲、アラン・タムがより穏やかな曲を受け持った。隊名は The Looser とも書く。
The Loosers は結成後、ビーチの音楽祭で優勝し、1971年の香港青年音楽祭でサミュエル・ホイを破り、観客投票の「殿堂特獎」を得た。
1972年、兄弟二人が抜け、バンドはすぐに終わりを告げ、六人は別れた。アラン・タムはそのあとシンガポールへ勉強に行った。1973年末、彭健新、葉智強、陳友と金牌マネージャー梁柏濤らがバンドを組み直し、ディスクジョッキー Uncle Ray の提案で The Loosers(失敗者)を The Wynners(勝利者、中国語名は溫拿)に改め、シンガポールから戻ったばかりのアラン・タムを加えて溫拿の「四虎」を組んだ。
1973年末にアラン・タムが帰港したあと、彭健新、陳友、葉智強とバンドを組み直すと決め、溫拿は1973年に正式に結成された。當代中國(Our China Story)は、バンドがすぐに香港と東南アジアで有名になり、服装が潮流の icon になったと記す。マネージャー Pato Leung が The Loosers を土台に組んだ。
1974年、ポリドールと契約し、最初のシングル『Sunshiner』を出し、続いて二枚目『Sha—La—La』を出した。デンマークのロックバンド Walkers の同名曲の編曲で、香港ラジオの流行曲榜の首位を三週間占めた。そのあと初のアルバム『Listen to the Wynners』を出した。アルバムは英語曲のカバーが主で、當代中國(Our China Story)は、うち「Sha-La-La-La-La」が街に知れ渡り、すぐにヒットチャートの一位に上ったと記す。
1975年、アルバム『Love and other pieces』と『Under the lion rock』を出した。風格は前期の英語カバーから後期の自作へ移った。同じ年、映画『大家樂』とビタソイの広告に主演した。
1975年、作詞作曲のジェームズ・ウォン・ジムと組み、ジェームズ・ウォン・ジムが監督した映画 Let's Rock のために粤語のオリジナルを何曲も出した。ほかに TVB の番組 The Wynners Specials(1975)と長編三本、Let's Rock(1975)、Gonna Get You(1976)、Making It(1978)がある。英語版ウィキペディアは、これを音楽の成功がほかの大衆媒体へ延びたものと見る。
1976年、アルバム『Same Kind of Magic』と『The Wynners' Special TV Hits 75-76』を出した。4月15日、溫拿主演の映画『温拿與教父』が封切られた。英語版ウィキペディアは、1976年の Some Kind of Magic も同じく成功し、イギリスのバンド Brotherhood of Man の、その年のユーロビジョン優勝曲「Save Your Kisses for Me」のカバーを収めたと記す。
1977年、アルバム『Making it』を出した。香港フィリップスが出した英語アルバムで、主打の「making it」と「fooling around」は溫拿主演の映画『追趕跑跳碰』の挿入歌である。同じ年、アルバム『面懵心精』も出し、5月3日に陳秋霞と大会堂の音楽ホールで音楽会を開いた。1973年から1978年の活動のあいだ、中国語版ウィキペディアは、名が台湾と東南アジアに及び、ソロになったアラン・タムと鍾鎮濤は台湾の映画会社に招かれて台湾の文芸映画を少なからず撮ったと記す。
1978年2月5日、TVB が『溫拿、秋霞之西部故事』特集を放送した。9月14日、主演の映画『追趕跑跳碰』が封切られ、挿入歌「不可以逃避」と同名映画の主題歌が同時に出た。同じ年、バンドは活動を止め、メンバーは各自の個人の道へ進み、五年ごとに再び集まって一枚出すと約した。
この年の変化について、中国語版ウィキペディアの一箇所は「活動を止め……五年ごとに一度また集まると約した」と書き、別の箇所は「溫拿のメンバーは70年代の終わりから各自発展していたが……バンドは正式に解散したことがない」と明記する。メンバーはこれ以降各自の仕事を伸ばした。當代中國(Our China Story)は、バンドが「解散を宣言した」と書く。
1980年代について、英語版ウィキペディアはアラン・タムと鍾鎮濤(Alan Tam と Kenny Bee)が香港で最も歓迎されたスターの列に入ったと記す。1983年に香港コロシアムが落成し、溫拿は9月に入って歌った。中国語版ウィキペディアは、紅館で個唱を開いた最初の香港バンドになったと記す。五年の約は1983年から果たされ、五年ごとにレコード、コンサート、または映画を出した。
1988年、結成十五周年を記念してマカオで珍蔵版の記念特集を撮り、レコード『溫拿88十五周年紀念』を出した。同じ年度、「千載不變」で「十大勁歌金曲」「十大中文金曲」「十大勁歌金曲榮譽大獎」と金針賞を受けた。
2006年に復帰し、その後は新曲とコンサートでファンに会った。2007年2月から3月、香港コロシアムで『溫拿33好時光演唱會』を13場開いた。
2011年2月、香港コロシアムで『溫拿38大躍進演唱會』を6場開き、口号は「ファンに仕える」だった。同じ年の4月1日、ジャッキー・チェンが香港で始めた「Artistes 311 Love Beyond Borders」の募金で再結集し、日本の津波の被災者のために募った。
2014年11月8日、Oracle Arena で Family Bridges のために慈善コンサートを開いた。2015年、「IFPI香港流行音樂文化貢獻樂隊大獎」を受けた。2015年の後半、中国語版ウィキペディアは、2016年の旧正月コンサートのあと「究極の解散」を発表するといううわさがかつてあり、そのあと彭健新は自分が解散を提案したことがあると認めたが、すぐにアラン・タムに反対されたと記す。2016年、新曲プラス精選『溫拿精神』を出した。
2022年1月31日、初めて CCTV の春節聯歓晚会の舞台に立ち、「朋友」と「ShaLaLaLa」のメドレーを歌った。2023年5月19日、50周年の告別コンサート『溫拿情不變 說再見演唱會』を開くと発表し、「由始至今」「兄弟」などの新曲を出した。8月に香港コロシアムで7場を終え、9月23日にマカオ銀河綜藝館で一場、9月28日にクアラルンプールのファンミーティング、10月1日に「香港同胞慶祝中華人民共和國成立74週年文藝晚會」、11月4日にクアラルンプールの Axiata Arena でツアーの告別コンサートを一公演開いた。
告別コンサートを発表したとき、溫拿は、香港公演とツアーの告別コンサートを終えたあとは商業の出演をせず、慈善の出演にはなお加わると述べた。英語版ウィキペディアは、告別コンサートのすぐあと正式に解散した(formally disbanded shortly after)と記す。
概要
- 結成
- 1973年
- 結成地
- 香港
- 解散
- 2024年10月26日通算51年
- 活動期間
- 1973年~2024年10月26日
- 別名
- 温拿乐队、温拿、溫拿
- 楽器
- ボーカル、ギター、ドラム / パーカッション、ベース
収録済みの作品とリリース
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