吳楚楚 — Wu Chu-chu
1947年3月1日に漢口で生まれた台湾の音楽家、キャンパス・フォーク歌手、レコード出版者、音楽著作権の推進者。2005年に第16回金曲奨の特別貢献賞を受賞した。
アーティスト紹介
吳楚楚は1947年3月1日に漢口で生まれた台湾の音楽家、キャンパス・フォーク歌手、レコード出版者、音楽著作権の推進者である。2歳の時に父親と台湾へ渡り、後に台北県新店鎮に住んだ。高校でギターを学び始め、その後、国立中興大学法商学院地政学科へ進み、大学2年時にギター部の部長へ選ばれた。
兵役後の音楽活動は、指導と歌手出演から始まった。吳楚楚はギター教室を開き、西洋料理店で歌った。1974年、台北市中山北路のコロンビア・カフェで、同じく歌手として出演していた胡德夫、楊弦、李雙澤、韓正皓らと知り合った。
楊牧の詩に曲を付けた「歸來」が、吳楚楚にソロコンサートの機会をもたらした。林懷民は同曲を聴いた後、台北市の実践堂で吳楚楚の公演を開くことを決めた。30歳の時、吳楚楚は『吳楚楚首度演唱會』で自作曲「你的歌」を発表した。
キャンパス・フォーク期の創作は楽曲審査も経験した。1977年、陶曉清は胡德夫、楊弦、吳楚楚らを招き、洪建全教育文化基金會の支援を受けて3作の『我們的歌』を発売した。そのうち吳楚楚の「好了歌」は行政院新聞局の楽曲審査を通過しなかった。一方で「好了歌」は中國廣播公司の「年度歌曲」で1位を獲得し、吳楚楚本人も男性歌手部門で1位となった。
『三人展』は吳楚楚が表舞台から裏方へ転じる節目となった。1981年、滾石唱片が吳楚楚、パン・ユエユン、李麗芬の共同録音による同作を発売した。アルバム発売後、吳楚楚は舞台で歌う機会を徐々に減らし、制作と音楽行政へ移った。1982年には彭國華、陳大力らと飛碟唱片を共同設立し、ポピュラー音楽市場へ参入した。
海賊版対策と著作権団体の業務は、その後のキャリアの重要な部分となった。当時のレコード市場には海賊版があふれ、知的財産権に対する一般の認識も限られ、レコード会社と歌手の権益が損なわれていたため、吳楚楚は海賊版対策に取り組むことを決めた。1985年に業界をまとめて海賊版対策チームを設立し、翌年にはレコード会社12社を束ね、財團法人國際唱片業交流基金會を設立した。1989年には中華民國錄音著作權人協會の設立を推進して初代理事長に選ばれ、1990年には業界へ呼びかけて『321反盜版大遊行』を開催した。
その後も音楽著作権団体の設立が続いた。中華音樂詞曲仲介協會は1994年に設立され、1999年には中華音樂著作權仲介協會が設立されて、吳楚楚が初代理事長に選ばれた。同年、陳大力、陳秀男と擎天娛樂も共同設立した。
フォークソング活動の推進は、後年の吳楚楚のもう一つの仕事となった。2003年に『民歌30年』シリーズの準備を始め、2004年6月に『民歌30演唱會』を開催した。2005年には第16回金曲奨の特別貢献賞を受賞した。
その後も吳楚楚はライブ出演とインタビュー番組への参加を続けた。2022年にも台北のライブミュージックバーOldie Goodie Live Barで演奏し、バンド「清清楚楚」は隔週火曜日に出演した。2024年2月10日には、台北廣播電台『景淳的生命花園』のコーナー『民歌50專區-EP.1』にゲスト出演した。
ポピュラー音楽と時代の関係について、吳楚楚はかつて簡潔にまとめた。ポピュラーソングは社会のサブカルチャーであり、一世代の心の声を歌うものだと考え、「今日の流行は、やがて未来の古典になります」と述べた。
概要
- 生年月日
- 1947年3月1日79歳
- 出身地
- 中國漢口 · 中国本土
- キャリアの起点
- 初のアルバム · 1977年
- 活動期間
- 1977年~現在49年
- 性別
- 男性
収録済みの作品とリリース
収録済みの作品はまだありません。