ケニー・ビー — Kenny Bee
香港の男性歌手、音楽家、俳優。1953年2月23日生まれで、溫拿樂隊の2人のリードボーカルの一人。1980年代にソロ歌手として活動し、1985年に映画『殺妻二人組』で初監督を務めた。
アーティスト紹介
ケニー・ビーは香港の男性歌手、音楽家、俳優。1953年2月23日生まれで、溫拿樂隊の2人のリードボーカルの一人でもある。幼少期から香港島の麥當勞道、銅鑼灣、天后廟道などで暮らした。
専属出演が、ケニー・ビーが音楽業界に入る出発点となった。15歳で学校を中退後、友人とバンドTeaを結成し、灣仔のバーで演奏者を務めた。その後、バーの責任者に招かれてMikadoで2年間専属歌手を務め、これが最初の仕事となった。以後、Glogo、Basemenet 18、Club Jokerなどでも歌った。
バーでの仕事を通じて、ケニー・ビーは後の溫拿樂隊の仲間とも出会った。バーで代役として働いていたアンソニー・チェンと出会い、その後アンソニー・チェンとともにアラン・タムに会い、次第にほかのメンバーとも知り合った。ケニー・ビーがサクソフォンを吹けると知ったメンバーはLoosersに誘い、バンドは間もなくWynnersへ改名した。ケニー・ビーは後に、母親がサンフランシスコの大学へ行く手配をしていたが、その時にはすでに溫拿樂隊に加入していたと振り返っている。
溫拿樂隊の結成後、ケニー・ビーはリードボーカルとキーボードを担当し、アラン・タムとともにリードボーカルを務めた。1973年、5人のメンバーは主に英語の曲を歌い、ステージで歌と踊りを披露した。この選択は、当時の香港で欧米の英語曲が流行していたこととも関係し、バンドは初期に多くの英語作品を残した。
香港のリスナーが次第に広東ポップスへ移行すると、溫拿樂隊も中国語作品を制作し始め、1980年代初めには新作の発表を休止した。ケニー・ビーはその後ソロ歌手として活動し、この時期の作品には「要是有緣」「情變」「讓一切隨風」がある。
台湾で映画を撮影してから、ケニー・ビーは俳優活動を広げ始めた。1970年代後半、溫拿樂隊のメンバーがそれぞれ活動するようになると、ケニー・ビーは台湾へ渡り、『小城故事』などの映画に出演した。『小城故事』では、出所後に木彫りを学ぶ陳文雄を演じた。國家電影及視聽文化中心の記録によると、李行監督は台湾の農村青年を演じるため、ケニー・ビーにクルーカット姿を求めた。
香港へ戻った後、1983年に映画と歌が一度交差した。ケニー・ビーは『表錯七日情』に出演し、彭健新とテーマ曲「一段情」をデュエット。同曲はその年の十大勁歌金曲に選ばれ、挿入歌「要是有緣」は十大中文金曲に選ばれた。
ソロ作品は1985年、1987年、1988年にも楽曲賞のリストに入った。「淚之旅」は1985年勁歌金曲第三季季選、「誠懇」は1987年第四季季選に選ばれ、同年の十大中文金曲も受賞。「兩點水」は1988年第二季季選に選ばれた。
ケニー・ビーは出演から映画監督へも進み、1985年に『殺妻二人組』で初監督を務めた。1988年10月に新曲とベスト曲を収めたアルバム『晴有獨鍾』を発売後、10年以上協業した寶麗金を離れ、CBS SONY傘下のEPICレコードへ移籍した。
北京語曲はソロ活動のもう一つの路線となった。ケニー・ビーは「只要你過得比我好」で北京語市場に進出し、1992年に華納唱片へ加入した後、張雨生の「大海」もカバーした。
後期に受賞した音楽賞は、歌唱と創作の双方の経歴に関わるものだった。「日日是好日」は2007年の勁歌金曲優秀選第一回得獎歌曲に選ばれ、ケニー・ビーは2012年に新城勁爆殿堂大獎を受賞。2016年には個人名義で第38回十大中文金曲の金針獎を受賞し、香港作曲家及作詞家協會からCASH音樂成就大獎も授与された。
概要
- 生年月日
- 1953年2月23日73歳
- 出身地
- 香港
- キャリアの起点
- グループの一員としてデビュー · 1973年
- 活動期間
- 1973年~現在53年
- 性別
- 男性
- 楽器
- ピアノ / キーボード、サックス、ボーカル
収録済みの作品とリリース
収録済みの作品はまだありません。